──川口先生は、いま、主にどのようなお仕事をされているのですか?
会計に関する講師、執筆、コンサルの3つの仕事があります。割合で言えば、講師業が6割、執筆業が2割、コンサル業が2割といったところですね。
メインの講師業は、講演、セミナー、企業研修など、形式は様々です。商工会議所などの各種団体主催の講演やセミナーが講師業の半分、残り半分は出張研修という形で、企業様からの依頼でその企業の社員の方に対して研修を行っています。
テーマは、財務会計や管理会計のほか、与信管理やキャッシュフロー経営など、会計に関連した研修です。
──経理部門向けの研修でしょうか?
いやいや、そんなことないです。むしろ、経理部や会計士向けの研修はあまりやってなくて、ほとんどが会計の初心者向けですね。経理部以外の人向けです。階層としては若手社員から管理職、経営者まで様々ですが、多くは会計を専門的に学んだ人ではありません。
──川口先生のこれまでのご経歴を教えていただけますか?
私が社会人になったのは25歳のときです。実は、大学卒業後の約3年間は無職だったんですよ。
同級生が次々に就職内定を勝ち取っているのを横目に、私は大学4年になっても就職活動する気が起きなくて、そのまま就職浪人となりました。貧乏学生でしたが、商業高校時代に学んだ簿記の知識をどうにか活かしたいと思い、アルバイトで生活費を稼ぎながら、背水の陣で公認会計士の試験勉強に没頭しました。そして、3年間の勉強の末、25歳の時にようやく公認会計士試験に合格しました。そこからが私の社会人生活のスタートとなります。
──かなりご苦労されたんですね。
確かに順風満帆な船出ではありませんでしたね。でも、苦労というなら、その後の方がもっと大きかったですね。合格後すぐに大手監査法人に就職し、これで人生安泰と思っていたのですが、猛烈な激務とプレッシャーの日々が続きました。朝、猛烈な胃痙攣に襲われ、病院で点滴してから出社することもしょっちゅうありました。それもこれも経験だと思い、修行期間だと割り切って必死に食らいついていきました。
でも、このまま監査法人で会計監査を続けていくことに疑問を感じ、転職を決意しました。
転職先の証券会社では、引受審査という仕事をしました。いわゆるIPO審査というもので、新規に上場しようとしている会社が上場にふさわしいかどうかを多角的にチェックする仕事です。この仕事では、公認会計士としての知識や経験が活かされるため、会社からも随分重宝されました。
引受審査の仕事では、ベンチャー企業の社長をインタビューする機会がたくさんあったのですが、そんなことをしているうちに、「上場の審査をする側」ではなく、「上場する側」になりたいって思うようになっちゃったんですよ。
で、縁あって、上場を目指しているベンチャー企業に転職し、その1か月後に取締役兼CFOに就任しました。これまで身につけた知識や経験を総動員して、会社の売上を約3倍にまで急成長させ、同時に内部管理体制の構築と財務基盤を固める施策を行いました。
そして、このまま上場まで駆け上るぞー!と思っていたのですが、リーマンショックの影響で株式市場が冷え込んじゃったんですね。会社も上場どころじゃなくなっちゃったわけです。それで、私は静かに会社から身を引きました。
その後は、会計専門のコンサルタントとして、企業を側面から支援する活動に切り替えました。大企業から中小企業まで、さまざまな規模、さまざまな業種のコンサルティングを会計的な視点から行いました。そして今に至っているわけです。